不意に訪れるその男を、私が拒絶したことはない。
拒絶できるはずもなかった。その男は、エースは、疑いようもなく私の影だった。私がもう少し諦めが悪ければ、或いは私にもう少し勇気があれば、きっと私とエースは同じ道を辿っていたことだろう。そして二人して破滅していたはずだ。エースは自分のもう一つの可能性である私を嘲笑うことで自らを支え、私は自分のもう一つの可能性であるエースを憐れむことで自らを支えているのだから。
そうして生きていくしかない我らの何と滑稽なことだろう。私たちは互いに依存しているのに、それをきちんと自覚しているのに、敢えて目を逸らしている。
相手の存在を強烈に意識しながら相手の存在を執拗に無視し続ける。それが私たちに唯一共通するスタンスだった。
その日、までは。

「………………っ………………!?」

唐突に塞がれた唇から伝わってきたのは熱。襲ってきた感覚は吐き気。
どうしようもなく気持ちが悪いと感じたのはそれが私の意志を無視した行為だったからではなく、相手が同性だからではなく、おそらくはエースだったからだ。
エースだから、触れられたくない。それ以上の理由はない。

「……離せ!」

渾身の力で突き飛ばせば、意外にもエースは抵抗することなく唇を離した。私が少々強い力を込めたところでエースに通用するはずはないのだから、元々その行い自体にはそれほど固執していたわけではなかったのだろう。
問題が行為でなく動機であることに間違いはない。私がエースを睨みつける視線には殺意に近い感情まで籠っていたはずだ。

「……何の真似だ、エース」
「さあ。俺にもよく分からないんだ」
「何?」

ふざけたことを言うな、と。言い返そうとして開いた唇を私はそのまま何の音も発することなく閉じるしかなかった。エースの紅い瞳が私を見据えている。曇硝子にも似た底の見えない瞳に私の姿だけが映っている、その事実が私を押し留めた。
いつだってエースは私を見たことはない。私を見ているふりをしてどこか遠くにある夢を追い続けていた。なのに何故、との思いが一瞬私の思考を奪っていく。
そしてその一瞬が致命傷だった。

「ただ、さ」

ぼんやりした口調でエースは言葉を紡ぐ。その先を口にさせてはならないと直感的に気付いていたにもかかわらず私は動けなかった。
さながら宣告を待つ死刑囚のように。

「欲しいな、って思ったんだ」

笑顔を浮かべるエースに、心底ぞっとした。その笑みは美しすぎる。綺麗すぎる。純粋すぎる。
そうであるがゆえに、笑顔の奥に潜む欲望の強さが分かってしまう。それが欲であることを否定できない。

たった今それを、唇で伝えられてしまったのだから。






あからさまな

黒川暁さま