「いかないで下さい。いかないで下さい」

そう言われていかないでいられたらどんなに良いか。そう簡単に世界も時間も進んではくれないし遅くなってもくれないことを知っているのか否か。知っているからこそこんな振りをしてみせているのかも知れない。けれど本当に望んでいるのかもしれない。判らないけど判らないこともまた気持ち良いから気にする事も無い。どっちにしたってもうすぐ私と云う存在は消え去るのだから。そしてまた時は巡る。世界も巡る。
ただいかないでと壊れたように言う彼が少しじゃなくてとてもとてもとても可哀想に見える。確かに私だって愛していたし恋していたけれど。だからと言ってずっと生きていられる訳ではない。君にもいずれ死が訪れるように私にも平等に。少しばかり早く訪れただけの話なんだ。その内追いついてこれると云うのに。

「無理だよ、もうすぐ消える」
「消えないで、下さい。愛しています、だから」



だから消えないでいいのなら最初からそうしていると言うのに。一言一言が私の心を抉っていくのを判らないのかと怒りたくなったけれど理性なんて何処かに飛んでいってしまっているからこんなにも取り乱しているのだろう。という事は言っても無駄と云う訳で。しかしこのまま会話にならない会話を続けていても意味があるとも全く思えない。それに消える瞬間まで後味が悪いのはあまり良くない。次の目覚めが悪くなったら困る。
手を離さない彼は子供のようで普段とは立場が逆だと思わず笑ってしまいそうになった。


「グレイ」
「消えないで下さい。いかないで下さい。愛してるんです」
「分かってる、私も愛してるよ」
「……なら、いかないで下さい」
「そうだね」


肯定されるとは予想していなかったのか驚いたように眼を見開いて顔をまじまじと見てくる様はなんだかとても可愛らしくて抱き締めてしまいたくなったけれどそうしたら本当に彼を連れていってしまいそうだった。順番が狂ってはいけないから。決められた通りに行かなければいけなくて、そして次は私の番。お前の番はまだまだ。だからそれまで生きていく為に、最期の魔法を、お前にあげよう。


「何処にもいかないさ」
「……本当ですか?」
「ああ、本当さ」


丁寧な笑みを作って笑ってみせて、それからさようならを言う。驚いたような顔、責める顔、泣きそうな顔が次々と現れる。そして暫しの眠りに襲われて、落ちる。

「お前から私が消えて、何もなくなるだけさ」
そしたら悲しみも苦しみもなくなるから、ちゃんと順番を待てるだろう?





目覚める前に最期のキスを、さようなら。



最期のキス

時宮一